OMR誕生経緯・その2(文・雨宮)

まず最初に考えたのは「Trans-Ishikari」のルート変更版だった。
「Trans-Ishikari」のルートはロードパートがかなり長くなるため、もっと山岳パートを増やしたいと単純に思ったからだ。
なかなか良いルートを見出したものの、さらに競技時間は長くなり(36時間以上で週末2日では終わらない)途中に商店らしいものもなく、厳しくなることが予想された。
当初の「誰もが参加できるイベント」という趣旨とはかけ離れてしまうため、却下とした。
(これに関してはいずれ自分で完歩したい)

次に考えたのは「Trans-Ishikari」を得点制にする競技だ。
山頂などにチェックポイント=得点ポイントを置き、スタートの日本海から得点を稼ぎつつ制限時間内に太平洋にゴールして合計得点を競うというルールだ。
このルールならゴールでみんなと会うことができる。
制限時間は36時間ぐらい……
だがこうするとさらにロード比率が高まってしまうチームが増える上に、敷居はたかいままである。

などなど、色々な案が浮かんでは消えていった。
このままではイベントの趣旨が発散してしまう。
そこで、まずイベントの趣旨を整理して以下の条件を決めた。

・競技時間は24時間以内
→短すぎても長すぎてもダメ

・夜間パートを作る
→北海道ではなかなかできない夜間行動の経験となれば

・スタートとゴールで選手が交流できるようにする
→レースのようにゴール後すぐ帰宅ではなく、みんなそろって解散としたい

・スタッフの負担を極力減らす(持続可能をめざす)

スタッフの負担を減らす、というのは自分の中では重要な条件だった。
以前ロードのイベントを開催していたが、スタッフの手間が多すぎ、かつ無償のボランティアに依存せざるを得なかったため、スタッフとして動ける人の減少やモチベーションの低下とともにイベントの運営が立ち行かなくなり、結局は休止となってしまった。
このため、営利目的ではないイベントだとしても必要最低限の経費は徴収し、スタッフへの経費(交通費・食事代)+できれば謝礼的なものを支給し、また手伝いたいと思ってもらえるような環境をつくりたい。
主催者はまだしも手伝ってもらうスタッフの方々が手弁当・赤字では申し訳ない。
ボランティア=無償、ではないのである。

つづく

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